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ブログを移転して心機一転。 二次創作の小説の公開や色んな感想を気の向くままに書いています。
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ついこの前知ったのですが、ラーゼフォンのDVDBOXが発売されるそうですね!
ラーゼフォンについて、私は去年の5月に知り、一気に全話視聴、多元変奏曲も観ました。
一般の評価で「エヴァのパクリ」と聞き、どんな作品なのかなという興味からだったのですが、
まず、オープニングにやられ、それから話の筋や世界に引き込まれていきました。
訳が分からない、不必要に難解とも言われていますが、少しくらい頭動かして考える話の方がいい。
この作品の場合、少しどころじゃなく頭を動かしましたが。

テレビ放映の無印版(と言うべきか)だけを観るとぱっとしないのですが、
劇場版の多元変奏曲を見ると一気に話が分かって世界が見える、面白くなります。
時間はかかりますが、テレビ版→多元変奏曲→またテレビ版 と見ていくのがベスト。
更にゲームがあり、これが傑作らしいのですが、私は入手しておりません。
イシュトリに自我が目覚めると聞いてときめいた。

エヴァとの違い、ですが、そもそも私自身は似ていると思っていないので、
比べること自体おかしいのではないかと思いますが、一応。
エヴァがシンジの物語、エヴァに乗る事、人と関わることによって彼がそうなっていくか、
エヴァに乗ることは彼にとってひとつの切欠に過ぎない、そんな物語だとしたら、
ラーゼフォンは綾人と遙の恋愛を描いたものです。
シンジと綾人は似ている部分もあるけど、やっぱり綾人の方が大人。
紆余曲折は経ていますが、結局これに尽きるのです。
そしてラーゼフォンという存在は、切欠ではなく、2人に12年もの年齢差を出すことになり、
さらに調律前の世界では結局2人を分かつことになってしまう、元凶。
調律後の世界の2人は劇場版でもテレビ版でも幸せそうだけど、
それは調律後の世界であるわけであって、誰かが世界を調律しなければならない
元の世界では2人は幸せにはなれないのかな、と思う。



以下、劇場版のエンディングの謎解きに挑戦。自分なりの解釈なので、
「あ、間違ってる、バーカ」とか思っても、心の中にとどめてくださいまし。

+ + + + + + + + + +
自己満足な考察です。
ラーゼフォン特集ページ「世音神殿」簡易収録Ver.
こちらのサイトさまを参考にしている部分がいくつかあります。


劇場版のイシュトリ?
テレビ版では美嶋玲香がイシュトリでした。
イシュトリは奏者を導き、真の覚醒を促す。
そのためには、奏者にとって魅力のある存在でなければならない。
だから、綾人の消された記憶の奥底にあった美嶋遙の姿を以って現れた。
最初こそ(自分が見殺してしまった、という負い目もあったが)惹かれていた綾人。
一度は拒絶するが、最終的には受け入れる。
個人的にあんまりイシュトリは好きじゃない。外見可愛いんだけどね、嫌な女じゃんか。
途中で綾人が紆余曲折になったり、朝比奈や鳥飼を守る守る言ったのも、綾人の目の前で殺された(ように見えた)からか。

今日は劇場版の謎解きなので、テレビ版の話はまあ置いておく。
劇場版では”美嶋玲香”なんて名前の女の子は出てこない、そして何より綾人がマヤに記憶を消されずに
遙のことを覚えている。その上で2人はTOKYOジュピターで離れ離れになってしまう。
ずっとジュピターの中に閉じこもっていたのならともかく、綾人は東京の外に出て、
もしかしたら遙が生きているかもしれないと言う希望を持ち、ラーゼフォンに乗ることを決意する
(もしかしたらも何も、そこの紫東大尉があなたの追い求める人なのですがね、もどかしい)。
テレビ版ではなんで僕が乗らなくちゃいけないんだと駄々捏ねる綾人ですが、劇場版では目的があるため、あっさり決意している。
最初のオーバーロード作戦の際、綾人が見た遙の幻影、アレをイシュトリとすると、
これ以降イシュトリは綾人の前には姿を現していない。
現れる必要がなかったからでしょう。だって、綾人、自分から乗るって言ってるんだもの。
劇場版では、真聖ラーゼフォンが覚醒するには、ただ青い血の奏者が乗ればいいみたいなので、
イシュトリにしてみれば、後は待っていればいい、とでも思ったのかもしれない。
下手に遙の姿を真似て近づいたらそれこそ拒絶されるかもしれないし。


もう一人の綾人、遙
さて、イシュトリには肝心の奏者綾人よりも大事な問題があった。
遙である。喫茶店のシーンにもある通り、綾人の心の大半を占めているのは遙である。
最後のほうの学校のシーンのセリフでは、「神名くんはあなたであなたは神名くん」と言っている。
比喩か何かなのかもしれないが、敢えて言葉通りに捉えるとすると、あら大変、一人の奏者が2人に分かれた。
この場合、足して2で割ったら戻せなくなった、と言うべき?
まあそれほどお互いが好きで、綾人も遙を守るためと言って出たはいいが、やっぱり何より大切な人と別れて苦しかったのか。
遙がいなければ、世界は無へと帰していたわけで、イシュトリに「あなたは神名くん」と言わせた遙は
その言葉通りもう一人の綾人、そしてもう一人の奏者……なのかもしれない。
綾人本体が奏者の肉体とすると、遙は奏者の心。
もともとは全部綾人のものだったのだけど、遙に出会ったことで「心を奪われた」。
(比喩的表現だけど、仮にイシュトリの言葉を全て鵜呑みにして考えるのであれば、
綾人は遙と出会い、心を奪われ、もう一人の綾人となった、うん、飛躍しすぎだ)
肉体だけでも心だけでも調律は出来ないということか。
劇場版でイシュトリが2人で、綾人と遙を模しているのは、
奏者(綾人)が求める人が遙で、遙もイシュトリに言わせれば綾人だからなのかもしれない。
遙がもう一人の奏者なら、遙に対応したイシュトリが綾人で、綾人に対応したイシュトリが遙だから2人かもしれないけど、
これは違う気がします。
本来の奏者は綾人で、その求める人が遙、遙の内面にいる綾人、遙の中の遙と綾人を写したのが劇場版のイシュトリか。

……冗長な文だ、つまり何が言いたいのかと言うと、
綾人は遙で遙は綾人ってことだ。お互いに心を奪い合っていたからイシュトリにはそう見えたし、
綾人もラーゼフォンになってから、自分の心ともいえる遙がそばにいなかった苦しんでた、
下手したら世界崩壊していた。
まあ、更には、そのまんまですが、綾人の姿のイシュトリ、遙の姿のイシュトリ、どっちももう一人の綾人と遙だよね、と言うことです。


結構酷いラーゼフォンの中の人たち
とは言え、いちいち心象世界の喫茶店に引き込んで綾人のところに行け、
今までもそうしてきたじゃないかと言って遙を促すイシュトリ。
肉体失ってマヤに導かれ、時の彼岸へと至った綾人のもとに行ったら、「君には生きていて欲しい」とある種の拒絶をされ、
最後に選ばせてあげる、未来は選べないから過去を選べと言われ、選ぼうとしたら、
イシュトリに流石に時間は巻き戻せない、代わりに思い出をあげると言われてしまった。
こう書くと遙さん物凄く可哀想。結局自分に選択権はなかったのだもの。
だけど、こうやって遙を綾人のところへ向かわせないと困ったことになる。
ここで遙を行かせなければ、世界が崩壊していたらしい。
前にも述べたけど、恐らく遙がいなければ、調律が出来なかったと思われる。
劇場版のイシュトリは、綾人がどうのこうのより、遙をなんとかしなければいけなかった。
エレベーターで嗚咽している遙を心象世界に呼び寄せる。
綾人に対しては幻を見せることしかしなかったイシュトリが、遙に対しては直接モーションをかけている。
テレビ版みたいに追っかければよかったのだろうけど、遙は泣くことしかしなかった。
時間があれば遙の様子を見て行動を起こしたんだろうけど、綾人がラーゼフォンに乗ってしまったからもう時間がない。
「じゃあなんで一緒に行かなかったの?」で一緒に行くことをある程度期待していたことが読み取れる。
だけど行かなかったから、呼びかけた。




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